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2017 冬号 WINTER 通巻589号 平成29年12月20日発行(季刊)
発行 / 福岡県 県民情報広報課

 
 
 

「太宰府」の高い防衛技術と外交

 大宰府には、日本の西の守りとしての「防衛」と、九州一円の「統括」、外国使節の「もてなし」という
3つの重要な役割がありました。
 663年、百済(くだら)の復興を図った日本は、唐と新羅(しらぎ)の連合軍に敗れます。世にいう「白村江(はくすきのえ)の戦い」です。
翌年、連合軍の来襲を恐れた日本は、大宰府に急遽、山城(やまじろ)や水城(みずき)などの防衛ラインを築き始めます。
急ピッチで行われた防護壁の建設には、当時の最新技術や古代人の知恵がふんだんに詰まっていました。

地形を生かした防衛ライン

 福岡平野の奥、地形が一番狭まった箇所に水城を築くとともに、大宰府政庁の背後にそびえる四王寺山(しおうじやま)とその南側に位置する基山(きざん)に、大野城と基肄城(きいじょう)という山城を設けました。これは、博多湾岸からの連合軍の侵攻を地形を生かしてつくられた大宰府を守る防衛ラインです。
 これらは国家プロジェクトとして約2年で建設されたと考えられており、当時の緊迫した状況がうかがえます。

 
大宰府の防衛網
大宰府政庁の模型
 

[左]大宰府の防衛網/四王寺山(大野城)の山すそから水城の大堤が帯状に伸びているのが見て取れる(写真提供:九州歴史資料館・大宰府史跡ガイドブックより一部改変) [上]大宰府政庁の模型/背後の四王寺山に守られるように広がる大宰府政庁は7世紀後半から奈良・平安時代を通じて置かれた地方最大の役所である。現在も政庁跡には礎石が置かれ、史跡公園となっている(写真提供:九州歴史資料館)

 

大野城の版築(はんちく)工法と水路

 四王寺山の起伏の激しい尾根に沿って総延長約8㎞に渡って築かれた大野城。
百済の亡命官人の指導のもとに築かれた山城です。
その土塁は地盤を強固にするため、側方を木の板などで囲い、内側に粘土と砂など性質の違う土を交互に入れて、
棒で突き固めていく「版築工法」で築かれています。固く叩き締められた土塁は、クワで掘ると火花が散るほどです。
また、谷には割り石積みをした石垣が築かれました。大きさの異なる石を粗く積むことで自然排水を促したと思われます。
さらに、地下水を排出するための吐水口を設けるなど、水害に配慮した当時の技術の高さがうかがえます。

 
水城における版築工法の様子
百間石垣

[右]水城における版築工法の様子/調査では、土塁際に並ぶせき板の支柱列や直径4cm程度の突き棒痕跡が確認されている(写真提供:九州歴史資料館) [左]百間石垣(ひゃっけんいしがき)/大野城の土塁には各所に石垣が築かれているが、中でも百間石垣(宇美町)は延長約180mで、最も規模の大きい石垣である(写真提供:九州歴史資料館)

 

技術を駆使した水城の造営

 全長約1.2㎞、幅80m、高さ7~9mの土を積み上げた土塁と、内と外に水をたたえた濠から成る水城。その跡は、千三百年以上経った現代でも、はっきりと地表に現れています。
 この水城には、水気の多い場所でも土塁の安定性を確保し土砂の流失を防ぐため、木の枝や葉を敷き並べた「敷粗朶(しきそだ)」と呼ばれる当時の朝鮮半島の最新土木技術を取り入れていました。
 土塁は約70度の傾斜を成しており、この「壁土」を乗り越えるのは現代の特殊車両でも難しいほどです。

 
水城跡

水城跡/現在でも道路や鉄道がいくつも横切り、交通の要衝に置かれた施設ということが分かる

 

海外交渉の窓口 鴻臚館(こうろかん)

 異国からの使節をもてなす窓口として「鴻臚館」(福岡市)が置かれました。唐・新羅から来日した使節は、ひとまず鴻臚館に収容され、朝廷から都に上がる許可が下りるまで、長い時には2~3カ月間ここに滞在しました。時には、長期間滞在しても、日本からの退去を命じられることがあったそうです。いずれにしても、滞在期間中は、衣食を支給するなど、来客をもてなしました。
 9世紀以降には、唐・新羅からの使節が絶え、代わりに中国の商人たちが頻繁に来日するようになりました。彼らも鴻臚館に収容され、館内で交易が盛んに行われました。こうして、鴻臚館は国際貿易拠点へと転身を遂げていきました。

 
鴻臚館跡展示館
鴻臚館跡出土品
 

[左]鴻臚館跡展示館/平安時代の外交施設である鴻臚館は、平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一遺跡として確認されているのが筑紫の鴻臚館である。この展示館では発掘された遺跡を屋根で覆い、遺構を発見時の姿のまま公開している。また、出土した交易品などの展示を見ることができる。[右]鴻臚館跡出土品/中国や朝鮮半島の陶磁器をはじめ、イスラム陶器やペルシャガラス容器など、国際色豊かな品々が見つかっている(福岡市埋蔵文化財センター所蔵)